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●笠森稲荷神社 
●神明社 
●梅宮 
●神宝殿 
●大国・恵比寿社 
●十二支神社 
●盛岡天神社
 
●健康神社 
●田村了咲句碑 

●巌鷲山(岩手山)石碑 
●明治天皇御聖像・
御聖跡碑 

●神輿殿 
●客殿

境内案内
・八幡宮の拝殿
・八幡宮ゾーン
・笠森稲荷ゾーン
・護國神社ゾーン











 




笠森稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)
 笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていました。神さまは宇迦之御魂命で、五穀豊穣・商売繁盛、さらにできものの守り神として、歴代藩主から一般庶民まで広く信仰されていました。一説にはこの付近にすんでいた彌吾郎長者の守り神であったと伝えられていますが、本当かどうかはわかりません。また、全国にあるいずれの笠森稲荷の分社であるかも不明です。現在の地(八幡宮境内)にうつったのは、昭和32年(1957)で、その3年後の昭和35年(1960)9月、笠森稲荷神社崇敬講の人々により現在の社殿が建てられました。できものの守り神としては、徳川家康が瘡病(そうびょう:できもの)で苦しんでいるとき、江戸・谷中の感応寺境内にある笠森稲荷にお祈りしたところ、全快したという伝説が残っています。江戸の笠森稲荷と同じように、昔からできものなどをいやしてくださる神さまとして祈願する風習があったようです。


笠森稲荷神社例祭(8月8日)
五穀豊穣、商売繁盛の神として祀る笠森稲荷神社の例祭。8日の当日は午前11時から笠森稲荷神社の崇敬講の人々によって行われます。昭和32年頃は盛岡市内八幡町を中心とした人々が祭典を行っていましたが、その人たちが昭和35年に崇敬講を結成し、現在の形となっています。

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神明
(しんめいしゃ)
 祀られている神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)です。
延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました。
 自光坊の先祖が伊勢にご神体をうけて、盛岡の仁王に祀ったという話しが伝えられていたり、神さまを移すときには5尺(約150)くらいの柱を霊代にして、自光坊自ら背負っていったとの言い伝えも残されていますが、本当のことはよく分かりません。
 藩政のころ神明社所属のことで、自光坊と鈴木神職との間で争いが生じました。自光坊が訴訟に勝ち、それから自光坊の力によって神明社が発展してきたそうです。


神明社例祭(8月8日)
 天照大神を祀る神明社の例祭。古い書物には、旧暦の7月16日、17日の両日行われ、見世物や鹿踊などを楽しみにくる見物客も多く、町が賑わったことが書かれています。
 また祭礼のとき、参道でしょうがを売る風習があったため、この社の付近の町名を生姜町(しょうが:現在の神明町)と言いました。しょうがは悪を遠ざけ、神さまに通じる意味があり、今でも例祭のときには神さまにお供えしています。

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梅 宮(安産祈願の社)
(うめみや)
 祀られている神さまは酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけこのかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、小若子神(こわくごのかみ)です。
 寛保元年(1741)、南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って京都梅宮大社の御分霊を祭りました。安産、婦人、醸造の守護神として歴代の藩主から庶民にまで深く信仰を集めてきました。
 旧藩時代、笠森稲荷神社の近くにありましたが、明治時代の盛岡の大火によって焼失してしまいました。それから、その神さまは八幡宮本殿に安置されていました。信仰が厚かった人たちが本殿の建築費を寄進し、大正3年、社殿を現在の地に再建することができました。


梅宮例祭(4月3日)
安産守護である梅宮の例祭で、安産を祈願する祭です。昭和23年当時、盛岡市内の産婆たちが中心となって祭典を行っていました。いつしか、その梅宮奉賛婦人会は解散し、現在は、盛岡八幡宮敬神婦人会が行っています。

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神宝殿(しんほうでん)
 八幡宮に古くから伝わっている宝物や後世に伝えたい重要な奉納品が数多く保管、 展示されています。
 代表的なものは、脇指(わきざし)、「蛇切丸」の異名をもつ宝刀、獅子頭など。脇指(岩手県指定有形文化財)は初代国義(現在の福岡県の出身で、延宝の初め南部重信にやとわれました)が制作し奉納したと伝えられています。宝刀「蛇切丸」(岩手県指定有形文化財)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての作で、玉山氏の先祖である大和の守が、陸奥三戸蓑ヶ坂において大蛇を退治したと伝えられています。獅子頭(盛岡市指定有形文化財)は、延宝9年(1681)8月、八幡宮のはじめての祭礼のとき、藩主が贈ったといわれています。

主な御神宝
●獅子頭
●上、太刀 蛇切丸(伝山城)
●下、脇差 無銘(一口)
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大国・恵比寿様(だいこく・えびす)
 大国様は大国主命(おおくにぬしのみこと)と言います。大きな福袋を肩にかけ、人々に幸福を運び、農耕の神・縁結びの神さまとして庶民に親しまれています。日本の国ができるときに貢献した神さまの中で一番尊い神さまとして敬われ、島根県出雲大社に祭られています。
 右手に釣り竿、左手に大鯛を抱えている姿で知られている恵比寿様は、事代主命(ことしろぬしのみこと)と言います。日本国が創られるとき、「日本国は天孫(てんそん:皇室の先祖)に献上なさるのがよいでしょう」と大国主命に決断させた功績によって一言主神と言われる神さまです。また、海の事に従事されたところから、豊漁の守護神・海の守り神として尊ばれ、さらに海と陸との交流をもたらした商売繁盛の神さまと慕われています。
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十二支神社(生れ年守護の社)(じゅうにしじんじゃ)
 十二支の生まれ年ごとにひとつずつ守り神があるとする、土着的な民間信仰が元になっています。子年生まれは出雲神社、寅年生まれは八坂神社、亥年生まれは鳩森八幡神社と、十二支の動物が仕える神を祭る神社が、12社並んでいます。1年に1回、自分の生まれ年の神を拝むとよい御加護があると言われています。




盛岡天神社
(もりおかてんじんしゃ)
 祀られている神さまは学問の神さまである菅原道真公です。八幡宮が造営される以前からこの地に祭られていましたが、寛文年間藩の命令によって花垣(現在の天神山)へ移されました。毎年、受験シーズンには、合格祈願の参拝者でたいへん賑わっています。昭和60年(1985)社殿を建立し、お祭りしました。

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健康神社
(けんこうじんじゃ)
 肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています。足腰の健康を願って、わらじを奉納していく参拝者もいます。


田村了咲句碑
(たむらりょうさくくひ)
 「芹の水満ことなく減ることなく」という句があります。これは、俳誌「夏草」に発表した代表作のひとつ。
了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。

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巌鷲山(岩手山)石碑(がんじゅさんせきひ)
 弘化5年(1848)、修験者自光坊の屋敷に建立されました。この碑には伝説があります。侍が夜道を歩いていると、大入道があらわれ、侍は刀を切りつけました。ところがよく見るとこの石碑で、刀痕(かたなきず)だけが残ったということです。近所の民家にたたるというので、明治26年八幡宮境内に移転されました。


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明治天皇御聖像・御聖跡碑
(めいじてんのうごせいぞう・ごせいいひ)
 どちらも明治9年明治天皇御巡幸を記念して建立。聖像は昭和50年、碑は昭和15年に建てられました。御聖跡碑は、当神社の馬場にて、明治天皇が県内で産まれた馬を天覧してくださったことを記念したもので、「明治天皇産馬天覧御聖跡」とあります。松橋宗吉氏、松橋喜之助氏、村松保三氏の3名によって贈られました。

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神輿殿(みこしでん)
 祭典のときの神輿渡御(みこしとぎょ)に使われる神輿をおさめています。
 八幡宮には延宝9年(1681)から現在まで300年以上も用いられてきた旧神輿と、漆仕上げの上に螺鈿(らでん)をほどこした東北唯一の重厚な新神輿があります。




客殿(きゃくでん)
 現在、来賓の迎賓館として使われています。

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